第十回伝統歌舞伎保存会 研修発表会
2012-04-18


2012年4月18日 国立劇場大劇場 午後6時開演 2階下手

「梶原平三誉石切」

勤め帰りに行ったので、六郎太夫と囚人が並んで座って、囚人が台詞を言っているあたりから観た。もらったパンフレットを見たら、囚人は松次郎。六郎太夫は仁三郎。

俣野五郎は目立つ役なので配役を見ると市川左字郎。小柄で、遠くからみると亀治郎に似てる。

下役人役の千蔵、それに、配役と照らし合わせると梶原方大名で並んで座っている千壽郎、愛一郎がわかった。気づかなかったが、その隣りが代役のりき弥だったらしい。

主役の梶原と大庭は、片岡たか志と、市川左十次郎。2人とも顔が小さい印象を受けた。

奴菊平役の千志郎は最後に出てきて、幕切れにとんぼを返った。

梶原、六郎太夫と梢の花道の引っ込みで終わり、そのあと、15分の休憩。ロビーで仁左衛門の今月の舞台写真を売っていたので買った。

「座談会」

幕が開くと、一番下手に司会の織田絋二、その隣から時蔵、秀太郎、仁左衛門、左團次、孝太郎、愛之助が並ぶ。今まで見た中で一番豪華な座談会だ。

最初に仁左衛門が立ち、きょうの研修会について「それぞれのレベルで頑張っていた」と挨拶。

この座談会というのは、研修会の講評みたいなものなのかと思ったらそうではなくて、もっと一般的な歌舞伎についての座談会だった。

司会の織田は「年のことは言いませんが、2つの世代に分かれて、その真ん中の人もいるようで」と言い、ビデオのある時代とない時代、それぞれ修行はどんなものだったか、順に尋ねた。年のことは言わないといいながら、発言を求めたのはしっかり、年齢順。ちなみに、国立劇場の公演は、すべて映像が残っているのだそうだ。

左團次「他の人の話だが、カセットをもって教わりに言ったら、カセットに入れるのか、それならもう来なくていいよ、といわれたそうだ」
秀太郎「亡くなった京屋の兄さんが映画の世界から戻って、関西の立女形で、手取り足取り教わった」
仁左衛門「父に教わった。伊左衛門を教わると、そこに伊左衛門がいる。最後に教わったのは十兵衛だと思う」
「父」といいながら「教えていただく」という、一般の感覚とは違う敬語の使い方だが、歌舞伎役者の世界では正しいのかもしれないと考えながらきいた。

(秀太郎が、父は素人芝居の人たちにも教えていたのでわかりやすかった、と言う)

時蔵「又五郎さんに教わることが多かった。いろんな方に教わったが、成駒屋のおじさんが一番怖かった。」 どう怖かったかと聞かれて、「この人にはここまでしかできないだろう、というところまでしか教えてくれない」

時蔵の普段の声をはじめて聞いた。顔を見なければ誰だかわからなかったろう。歯切れの良い早口。

孝太郎「神谷町のおじさんは、教わりに行くと、同じ役でも相手の立役さんによって違うからと、必ず相手が誰なのか聞いた。豊松緑さんはこうだった、とビデオを見せてくれたりした」
これはたぶん、松緑と魚宗をやったときだろうな。

愛之助「ビデオは、後ろを向いたり、カメラが離れたりすると、その間何をするのかわからない。」

付けたして秀太郎が、「私の若いときは、今でも若いですけど、(このパターンは前にも聞いたことがある) 関西では、文楽の太夫さんが教えてくれた。文楽ではこうだけど、歌舞伎ではこうだから、というのも教えてくれた」

愛之助は「今回の研修会では指導のところに名前が出てはいるが、稽古のときに、指導されている様子を見て、自分も同じようにやって怒られるのかなと思った」と言った。
稽古場はとても勉強になる、ということを他の人たちも言った。秀太郎が「父が稽古つけてるのを手伝うふりして教わってた」


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