三十周年記念 上方花舞台
2013-01-30


2013年1月30日 国立文楽劇場 午後2時開演 1階13列26番

きょうは私の60歳の誕生日です。 この日に玉三郎が大阪で踊ることを知り、大喜びでチケットを確保しました。

「口上」
去年正月のルテアトル銀座での口上のときのような格好で、玉三郎が口上を行った。「上方花舞台」は大阪万博のときに初めて公演を行ったものだそうだ。 「関東の生まれの自分がどうしてと思われるかもしれないが」、大阪の大和屋のおかみさんと長く昵懇の間柄で、その人に呼ばれた。今は西も東もなく、伝統芸能を守っていくべきとき。
きょうは、玉三郎の口上には珍しくいろいろな人物や組織の名前が出てきた。後援の「関西・大阪21世紀協会」の名をちょっと間違えて謝っていた。

5分休憩の後

地唄「松竹梅」
山村流の舞踊家さん達の踊り。初めに2人で踊った。着ているものは同じ。着物の知識皆無の私が勝手に感想を言うと、下半身の模様がくどい。黒地の着物で、上半身のすっきりした感じと、2本の横じまの扇子と、下半身の模様が調和してない。
次に、もっとたくさん出てきて踊り始めた。この人たちは扇子が銀色の無地で、下半身の模様と調和し、全体にすっきりした印象だった。

山村若の振付。

名前はわからないが、最後に並んだとき下手から2人目の人が特にうまかった。

休憩をはさんで「三段返花絵草紙」

地唄「雪」
踊りというより、動く美人画。美しい玉三郎の周りで横に動いたりつぼまったりする傘の動きもまた完璧に美しい。すべての要素が一つの美しい絵を作っていて、どの瞬間を切り取っても一枚の美しい絵になる。
それを実現しているのは玉三郎の肉体であり、力だ。

長唄「業平」 大空祐飛

宝塚っぽい人が踊る、浜辺で小鼓を打って遊んでいる光源氏、みたいな感じだったが、業平か。

義太夫「海士(あま)」

吉太朗が貴公子の格好で花道から現われる。藤原房前だそうだ。

房前は大臣の子だが、母を知らずに育った。母が死んだという讃岐の国房前を訪ねると海士(玉三郎)が現われ、房前の母が死んだいきさつを語り、最後に「われこそ御身の母なるぞ」と告げて消える。

白い着物の腰のところに群青色の着物を巻きつけた海士の姿が玉三郎にぴったりで美しい。山岸涼子が描いた卑弥呼のような雰囲気。あのスラリとした長身、衣装の微妙な色、扇は、ぜひ山岸涼子に描いてもらいたい。

玉三郎は舞台のセリから上がってきて、スッポンから下がっていなくなった。舞台には吉太朗が残り、その泣く姿で幕切れ。

吉太朗は変にこまっしゃくれたところもなく、オーソドックスに踊りがうまい。共演するくらい玉三郎が信用してるのは凄いと思う。

15分休憩の後、最後に

「おあそびやす」

榛名由梨と瀬戸内美八が江戸時代の商人の格好で花道から登場し、お座敷遊びをする趣向。

山村流の舞踊家さん達の踊りと、OSKの人たちの踊り。榛名由梨と瀬戸内美八も踊った。

「松竹梅」のときにうまいと思った舞踊家さんは、水色の着物だった。この人が、顔の表情も含めて一番プロフェッショナルな印象を受けた。真ん中で踊った、薄紫の着物の人もうまかった。

フィナーレは、男の姿になった玉三郎が舞台の後ろから現われて真ん中に立ち、皆で扇を広げてもって終わりになった。
[孝夫と玉三郎]
[舞台]

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