第五回 花道会歌舞伎セミナー
2008-11-16


2008年11月15日 午後6時半開演 TKPビジネスセンター銀座 カンファレンス8C

演舞場と通りをはさんで隣りになるビルで「花道会歌舞伎セミナー」があった。第一部の講師はNHKアナウンサーの葛西聖司さん。第二部は秀太郎。

葛西さんは、講師をやるのは「柝の会」の薪車さんのとき以来、と言った。私は葛西さんは四年前の比叡山薪歌舞伎の司会以来。歌舞伎座ロビーでたまにお見かけすることはあったが。

演舞場の仁木弾正を、「あんなに煙出ちゃうの? 平気なのかしら。咳こんだら巻物落ちちゃうんですけどね」と言った。今、巡業も入れると五座開いているそうで大向こうの人達も回るのが大変で葛西さんに愚痴るのだという。

劇場中継をやりたいと思ってアナウンサーになったが最初の赴任地は鳥取、次は宮崎でなかなか望みがかなわず、三つ目の大阪でようやく望みがかなったが、それは宝塚。大地真央がトップになったばかりで、相手役が黒木瞳。インタビューに行くと、黒木は伏目勝ちで「わかりません」と言うばかり。男役が主に答えなければいけないのだそうだ。

歌舞伎の劇場中継の最初が今の団十郎の襲名興行ということは、私が歌舞伎を見始めた頃だ。

「名セリフを楽しむ」というタイトルの両面印刷の紙がテーブルに配ってあって、参加者みんなで音読した。曽根崎心中、勧進帳、修善寺物語、一本刀土俵入りだが、こんな機会でもなければ声に出して読むことはなかったろう。自分で一度声を出して「土俵入りでござんす」とか言ったことがあると、舞台の役者の台詞も一段と味わい深く聞こえるかもしれない。

間に休憩があって、第二部は秀太郎。鼠色の羽織袴姿だった。

葛西さん相手のトーク。来る前にパチンコで2万負けたが、全体では儲けている。孝夫は仁左衛門になってからやらなくなった。先代の雁治郎は国宝の指定を受けるときに「人間国宝になってもパチンコやってかまわないのか」と聞いたほど好きだった。藤十郎はやらないが玉緒はやる。

葛西さんは、今は歌舞伎が五座もかかっていてすごいですね、こんなになるとは思いませんでしたね、と話を振ったが、上方ではそうでもないからだろう、秀太郎は同感という顔をしていなかった。関西での歌舞伎の衰退については、自分が秀太郎を継いだ昭和31年頃から急に衰退したように感じると言った。

普段の声をはじめて聞いたわけではないのだが、はじめて聞いたような気がした。イメージよりも男っぽい声だった。本名はヨシヒト。彦人はヒコヒトと読むのだとばかり思っていた。

初めて東京で芝居に出たのは昭和26年、演舞場。「葛の葉」の安倍の童子をやった。六代目菊五郎が他界する少し前に父に連れられてお宅に伺い、いっしょにうなぎを食べた。

南座の顔見世に最多出演。吉右衛門劇団に子役のとき出た。そのときは新聞に「関西からは彦人一人参加」と書かれ、初日には緊張のあまり舞台で吐いた。

吉田屋のおきさ役を誉められるとそんなに嬉しくない。夕霧や梅川で褒められたい。藤十郎の家の吉田屋は京風で、松嶋屋のものよりきっちりしている。松嶋屋のは大阪風。伊左衛門の紙衣の紫も成駒屋と松嶋屋では違うそうですね、と聞かれ、違うという話は知らないと言った。ただ、役者の年齢によって紫の色を濃くしたり、ということはあるらしい。ときどき、そういうウソを聞くことがあるそうだ。たとえば熊谷陣屋の首の渡し方。熊谷が妻に息子の首を渡すとき、格上の役者には手渡しし、そうでないときは置いておく、というようなことをイヤホンガイドで言っていたがそれはウソで、松嶋屋の型てはいつも手渡し。そこだけが夫婦のコミュニケーションだから。吉田屋の伊左衛門役は、父の型を伝えるために自分がやっておかなければと思ったこともあるが、最近は孝夫がよくなってきたからもう自分ではやらなくていい。


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[歌舞伎]

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